2017年03月13日

僕の通信簿

なんかねぇ。
やれ、卒業式だとか。
やれ、終業式ですとか。
なんか、聞きます。

あ。春か。
出会いと別れの季節ですか。
皆、旅立っていくんですか。
なるほど。

と、思ったわけですけれども。
そしたら、突然、急に、いきなり、思い出したんですけれどもね。
なんで、そんなことを急に思い出したのかもよくわからないんですけれども。
まぁ、春休みはあんまりそういうことなかったんですけどね、実際は。

正月とか盆とか、おじいちゃんちとか行きますよね。
母方であったり、父方であったりと、行きますよね。
そんな時に、一つの儀式があることを急に思い出したわけですよ。

なんかね。通信簿をね。
おじいちゃんに渡すんです。正座して。
つーしんぼ。
で、おじいちゃんがそれを見てからね。
滞在中は、なんか、仏壇に置くんですよ。

ああゆうのって、今でもあるんだろうか・・・。
まぁ、そんなのは家庭によるのだろうけれども。
まぁ、子供ですから、正座っつっても、まともに出来てなかったと思うんですけどね。ふにゃついて。
渡すのも、まぁ、喜んで渡すわけがないですし。
時代劇の武士の子供みたいにではないですけれども、もちろん。
でも、まぁ、そういう儀式がありましたな。
おいらだけじゃなくて、従兄弟全員ね。
なので、ちょっと大きくなったら、仏壇に行って、全員の通信簿覗き見たりしましたけどね。あはは。

年に2回。
孫がやってきて。
正座して、通信簿を受け取っていたおじいちゃんずは、何を思っていたでしょう。
でも、なんか、褒められたような記憶しかないかもなぁ。
優秀だなぁって。

まぁ、突然なのだけれどもね。
そんなことを思い出したわけです。
どうも、最近の通信簿は、非常に配慮が行き届いているそうです。
○と◎だったりして、×も△も1も劣もないらしいですよ。
そんな配慮がいったい誰のなんのためになっているのかもよくわかんないですけども。
まぁ、親御さんに怒鳴られるプレッシャーを回避する先生のためなんじゃねぇの?とか疑っちゃいますけど。
少なくても、子供にとっては、それほど、良い方法じゃないですな。

でもなんていうのかなぁ。
あの習慣と言うのは、いつの間にか、自分の中に浸透しているような気がします。
いつだって、誰かが自分を評価していて。
いつだって、その評価を気にしてくれている人がいる。
そういう微妙な緊張感と言うか、無意識に感じているのかもなあと思った次第です。

なんか、儒教的なものって染みついちゃって嫌なんですよ。本当は。
全然、モダンじゃないというか。
自分の、つまんねーとこっていうか。
普通すぎるところだなぁって思うのは、大抵、そういうところに根っこがある。
もっとエキセントリックな、人間になりたかったもんね。

まぁ、そういう自分の中に根っこがありまして。
同時に、そんな自分を、嫌だなぁと思っていまして。
そんな矛盾の中、生きているのでござんす。
おかげで、非常に、優劣な評価をつけづらい数字じゃ割り切れない世界に身を置いてます。

いつの間にか、通信簿はもらわなくなっちゃったし。
いつの間にか、通信簿を誰かに渡すこともなくなっちゃったけれど。
いつの間にか、通信簿を自分で書いているような気がします。

だからきっと大抵の評価は気にしないんですね。
トータルで、いつか、その通信簿を正座して渡しますから。

優秀だねぇ。

そんな風に、いつか言われるように、がんばるんだい。
posted by 前方公演墳 at 23:23| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 小野寺隆一の前墳本当にあった事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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